岡山2-1.小田川(その3)平成27年5月31日(日)晴

中一日での遡行登板に出発。今日は日曜日で井原鉄道乗り放題のパスが使える。伯備線清音駅の井原鉄道の乗換え改札口で千円のパスを購入して列車に乗る。5年前にも何度か利用したパスである。昨年度はこのパスなどの効果で井原鉄道が黒字になったとのニュースが流れていた。三セクは涙ぐましい努力をして運行を続けている。

01.今日はこのパスを使うぞ!

先日の折返し点である小田駅で降り川に向かうが、旧山陽道の道沿いに家並みが続いており日陰が出来ているので旧道沿いを次の橋に向かう。500mほどで矢掛町と笠岡市に跨っている「観音橋」に着く。石造りの親柱は手前の矢掛側は対岸の笠岡の名物の「カブトガニ」を、対岸の笠岡側は宿場町矢掛を感じさせる大名駕篭である。先日の米俵と川舟の組み合わせよりは分かりやすい。

02.矢掛側には笠岡のカブトガニが

03.笠岡側には大名駕篭が

橋を渡り右岸(南)側の土手の上の道を西に歩くと、北東からの風がそよそよと吹き暑さは感じられない。次の橋の名前は「薬師橋」。なんと仏様の名前の橋が続く。こちらは笠岡市と井原市に跨る橋であるが親柱にはなんちゃ無い。如来が菩薩に負けてしまったぞ。

04.観音橋の次は薬師橋

橋を渡り再度左岸側に移り井原市の土手を歩く。幾分狭まった地形の土手近くには国道486号が、その北側には井原鉄道が一直線に東西に延びている。昭和後期から平成にかけて建設された線路は立体交差の高規格路線で、単行気動車が90km以上の高速で見晴らし抜群の線路を疾走している。
やがて小田川右岸側に合流する「稲木川」が堰の直ぐ上流で合流している。前回はこの川も笠岡方面まで歩いたが今回はどうするかな・・。土手下には綺麗に刈られた草地が広がり夏の花であるムクゲも咲いている。隣国の国花であるが、その姿形と国民性とがまったく一致していないのは何故だろう?

05.堰の直ぐ上流に稲木川が合流

06.早くもムグンファが咲きだした

薬師橋から1時間ほど歩いて「馬越橋」に到着。橋際には4個の石に囲まれた水準点の石が埋まり表示板も立っている。これが普通の水準点であるが、地形図を見ると水準点の記号も標高表示も無い。ここまでほぼ西から流れて来た小田川は北に少し方向を変えた方向からの流れとなり、上流に向かうほど北からの流れに変化していく。

07.これが普通の水準点だ

08.川はこの先からは北西からの流れになる

井原鉄道が小田川を斜めに贅沢に超える橋の下を潜り、歩道の無い国道から錦橋を渡る。橋の上から水面を見ると、川から突き出た枝の上で鷺が獲物を物色している。お魚君鷺に騙されるなよ。
山が南から川に迫り出す窮屈な所を進み井原の市街地に入ると、土手下の畑の隅に今度は雉に出会う。遡行でその鳴き声は何度か耳にしたが、現物が眼前に現れ逃げようとしないのはお初である。今時ここで鉄砲に撃たれることは無いじゃろ。

09.鵜の目、鷹の目、鷺の目

10.今度は雉まで現れた

市街地に入ると早速マンホールが現れる。絵柄はごく普通の何処にでも有る模様であるが、「子守唄の里」なる文字が入っている。子守唄と言えばブラームス、赤城と来て中国地方となる。その中国地方の子守唄のルーツがここ井原である。「ねんねこしゃっしゃっりまーせー・・・」のあの子守唄である。

11.中国地方の子守唄のルーツが此処

右岸側の土手の道を進むと松の樹の下に燈籠と石碑が在る。ここは元山陽道の七日市の渡し場であったと書かれている。この程度の川でも橋が無く川を渡っていたのだ。川の西に続く七日市宿場のために敢えて橋を架けなかったのが本音だろう。

12.山陽道七日市の渡し場跡の石碑

直ぐ北側には古いトラス橋と歩道橋が架かっている。トラス橋は前回△にしていたが、塗替え工事の準備中である。橋際には岡山県で初めて見る「社会資本整備総合交付金事業」の看板が目につく。塗替えと耐震補強工事の二つが同時に進行中である。それにしてもトラス桁の状態の酷いこと。手遅れにならねば良いのだが。

13.岡山県で初めて出会った交付金事業

14.よくぞここまで引きずってきたもんだ

橋際を越えるとここから先の土手路は桜の名所で、3月中旬になると井原堤は桜の開花情報の地名として紹介されている。樹は未だ若いが細い道の両側に桜並木が続き、桜のトンネルになるのが良いのだろう。

15.ここからの土手路は桜の名所だ

今回はここまでとして市街地の駅に向かう。旧山陽道の市道を西に進むと「七日市停車場・・」なる石柱が半ば舗装に埋まっている。井笠鉄道は、笠岡から今日見た観音橋の南の北川を経て井原に至る井原線、北川から矢掛に至る矢掛線、そして井原から福山市北東部の神辺に至る神辺線と3線を有する軽便鉄道であった。その井原線の終点の一つ手前が七日市駅であった。井原鉄道はこの井笠鉄道の西半分を踏襲した形になっている。石柱の直ぐ近くには七日市宿場本陣跡の石碑も有る。矢掛には本陣、脇本陣とも残っているがここ井原には影も形も無い。

16.井笠鉄道七日市駅跡

17.今は無い本陣跡の石碑

市中心部は戦火に有ったからか又は大火に見舞われたのか見事に区画整理されている。区画整理された味気ない広い道を歩き井原駅に着くと駅舎は日本離れしたデザインの大きな建物である。JRの総社、高梁、津山、新見駅よりも立派でインパクトが有る。

18.井原駅は日本離れした姿

列車まで15分あるので売店でサンドを買い昼食とする。11時16分発の単行気動車がやって来て乗り込む。井原駅の駅名板の絵柄は名誉市民である彫刻家の平櫛田中(でんちゅう)の代表作である鏡獅子である。前回、駅の北500m程の所に有る田中美術館を訪れ名作を鑑賞したが、これぞ日本の彫刻と言う見事な作品が並んでいた。
清音駅に向かう次の駅名は「早雲の里荏原」。戦国武将のあの後北条氏の勇、北条早雲はこの荏原地区に生まれたとのことから駅名になり、駅名板にも絵が描かれている。井原鉄道の各駅の駅名板を休日に千円で見廻る旅も良いですネー。

19.井原駅は平櫛田中の作品

20.北条早雲はこの地から小田原に

本日の歩行距離:8.3km。再調査した橋の数:6。
総歩行距離:8,120.3km。総再調査橋数:620。
使用した1/25,000地形図:「矢掛」(岡山及丸亀5号-3)、「井原」(岡山及丸亀9号-1)