岡山2-1. 小田川(その2)平成27年5月22日(金)晴

9時過ぎに前回の折返し点であった井原鉄道の三谷駅に到着。直ぐに南の小田川に向かい、左岸(北)側の土手の上の国道486号の歩道を西に進む。1km強歩いて最初の橋である県道35号に架かる「中村橋」に差しかかる。橋の四隅の親柱の上に建つ「水見櫓」が綺麗に修復されている。5年前に見た時はみすぼらしい汚れた櫓であったが良くなっている。この火の見櫓ならぬ水見櫓とは矢掛の町に有った小田川の水流を監視する櫓で、大雨で増水した時に櫓から警報を発する大事な建物であった。街中にはその本物が残っている。

01.親柱の水見櫓が修復されている

橋を過ぎると西からの流れは一時北北西からの流れに変わる。再び川が西からとなる地点の国道から矢掛市街地に入る道路との交差点には「篤姫」が泊まった本陣などの案内標識が建っている。大河ドラマ放映時に掲げたのであろう。

02.ここから奥が矢掛の街並みだ

直ぐ西の弦橋を診てから国道を離れ街道に向かう。足元の蓋は先日の絵柄とは異なり、大名行列には欠かせない奴さんと毛槍が描かれている。

03.街道の蓋は奴さん

街道を西に進むと道の北側に先ず脇本陣が現れる。ここ矢掛宿には本陣、脇本陣が完全に残っている。脇本陣の解説板を読むと主の高草家は因幡の出で庭瀬藩の要職を務め、その後この地の大庄屋となり脇本陣の主となった、とある。こんな所に庭瀬が出て来るとはお釈迦様もご存知あるメー。

04.脇本陣は宿の東端に

05.脇本陣の主の経歴が凄い

近くでは古民家のリニューアル工事も行われ、古い宿場町の景観を残す努力がなされている、が、肝心の電柱が道の北側にズラリと並び、尻隠して頭残る状態である。5年前よりもずっと町は良くなっているので電柱の地中化が2流から1流の観光地になる必須条件である。

06.古民家の再生工事の真っ最中

07.矢掛市街地の観光案内図

やがて今度は左側に本陣が現れる。本陣は石井家で古くからこの地に住む大庄屋で脇よりも土着度が高い。本陣も生業としその後醸造業も営む大金持ちであったようだ。掲示板の解説文も脇と差をつけるためか長い。街道から見た建物の規模はほぼ同じである。

08.本陣は宿の西に

09.本陣の方が解説文が長いぞ

直ぐ傍に和菓子屋が有ったので名物の柚餅子を土産にお買い上げ。街の北に行くと親柱に有った「水見櫓」があるのだが先を急ぐので省略し、街道歩きを続ける。矢掛市街地の西端で小田川の大きな二次支流である美山川とそのまた支流である星田川が合流するので、この川を歩く時に立ち寄ることにする

10.矢掛宿は観光地としても有名なのだ

市街地が尽きた所で美山川に架かる古いポニートラス橋に再会する。2年前に新しい塗装系に塗り替えられ、婆さんが化粧をして輝いている。
国道に合流すると直ぐの土手下にバスターミナルが有る。昭和42年に廃止された井笠鉄道矢掛線の矢掛駅の広い構内が井笠バスのターミナルであった。2年半前には井笠バスそのものが倒産し、今は子会社であった「北振バス」の小型バスが井笠バスのカラーデザインのまま片隅に停車している。今は都市部以外ではバス事業は成り立たない状態になっている。北振バスの運転手さんと暫し話をして現況を聞く。井笠バスの路線の大半は両備グループの一員になった福山の中国バスが拾い、子会社を設立して中バスのデザインのバスを走らせているとのことである。これで備前、備中に備後が加わり、両備は会社名を吉備ホールディングにせにゃー負えんぞ!

11.山陽道に架かる橋が綺麗になっている

12.井笠鉄道の矢掛駅は古びたバスターミナルに

再び土手の上の国道に戻り遡行を再開する。対岸には和風建築の大きな下水処理場の建物が建っている。宿場町にふさわしい良いデザインの処理場である。
歩道の足元に小さな見なれないマンホールの蓋が目につく。良く見れば国土地理院の基本水準点と書かれている。地形図を見ればここに水準点を示す記号と標高23.3mの表記が有る。へー、こういうマンホールの下に水準点が収められているのだ。通常は囲いに囲まれた中心部に石造りの四角柱の上に乳首のように丸く突き出た頂点がその地点の高さになっている。

13.矢掛の下水処理場は良きデザインだ

14.マンホール蓋の下に水準点が有るのか?

程よい気温で足は快調に進む。国道は土手を離れ一直線に西に延びている。普通の道となった道路際に「わしらの川じゃけぇ、わしらが守ろうや」と余り上手くない字で書かれた看板が目につく。岡山弁丸出し看板であるが、頑張ってやー。
土手下に敷地が広がる中川小学校に差しかかると、希少動植物の蝶と植物を3年生が育てているとの絵入り看板が立っている。こっちも頑張ってやー。地図上には中川なる地名は見当たらないが、この辺りはかつての中川村だった所のようで、今は矢掛町に吸収されてしまった。

15.岡山弁丸出しの意思表示だ

16.小学生が貴重な蝶と植物を生育中

西前方に小高い山が川に迫り出している。麦が穂を出し麦秋の景色となっている。こんな立派な川が直ぐ傍に有るのにもったいないなー。土手と山の緑と快晴の青空に黄金色が際立つ。
田鶴山と表記された小山の東側の道沿いに足をすする茶堂が見える。直ぐ傍には大きな石燈籠と石碑もありエエ感じやなー。土手から降り暫し茶堂で涼しい風を受けながら休憩する。1L入るボトルのお茶でお茶を濁す。

17.麦秋は緑と青と黄金色

18.この小屋で一休み

山に遮られた川は山裾を廻り込んでいる。山の西裾に木製桁の沈下橋が現れる。四国の沈下(潜水)橋と比べると貧相であるが、周囲に橋のあるこの川ではこれで十分なのだろう。流れ橋と言った方が良いのかもしれない。この辺りは川幅が狭く、それに反比例して堤防が高い。

19.岡山にも沈下橋が有るんじゃー

20.岡山木製の桁で狭い

山のこちら側が旧小田村でこの小田川の名前の元の地名である。先ほどの山裾から流れて来るので下流部の人達が小田川と言い、これが流域の場所によって異なる川名であったのが最後に勝ち残ったのであろう。
小田集落の西端に架かる県道の橋は矢掛町と南の笠岡市との境界になっている川を渡っている。左岸側の親柱には彼方の笠岡の地名と米俵が、右岸側には此方の矢掛と米俵を運ぶ川舟がレリーフされている。地覆の裏側には両市町名と橋名が銘板に記されている。橋名は「共栄橋」だ。

21.左岸側には笠岡と米俵が

22.右岸側には矢掛と川舟が

23.橋は2市町の境界に架かる

井原鉄道のダイヤのキリが良いので今日はここまでとして集落の北側に有る小田駅に向かう。5年前は更に二駅先の井原駅まで歩いたが、無理は禁物なので切り上げる。途中の道際に紫陽花に似た可憐な花が青紫色のグラデーションの変化を見せてくれカシャ。こころ和む色の組み合わせである。

24.グラデーションの変化が美しい

25.川名の元になった小田から帰路につく

直ぐの小田駅の瀟洒な駅舎で10分ほど待ち単行気動車に乗る。今日の井原鉄道の運賃が合わせて1,080円なので、ここから先に行くのは休日が良い。休日は全線乗り放題で千円の割安切符が販売されるのだ。

本日の歩行距離:10.0km。再調査下橋の数:9。
総歩行距離:8,105.2km。総再調査橋数:601。
使用した1/25,000地形図:「矢掛」(岡山及丸亀5号-3)