大阪1-1.芥 川(その2) 平成25年8月8日(木)晴れ一時曇り

芥川の遡行の続きを行うべく先日と同じ列車を待つがやっては来ない。早朝に駅員がいないため管理駅の岡山駅に通じるインターホンで遅れの状況をホームに知らせるよう言うが、直ぐにいたしますと言いながら放送は無い。次の伯備線からの岡山行きに乗り、岡山始発の播州赤穂行きに乗り変え設計変更する。30分ほど予定よりは遅く高槻に着くがやむを得ない。
岡山駅での案内放送では笠岡付近で人身事故が有り一時不通になっている。人員削減で非常時の対応がお粗末で、本業がおろそかにされている。JR民営化当時に幸運に恵まれた株式会社の成功者などが推進した民営化であるが、国鉄の民営化に株主の配当に気を使う株式会社方式が本当に良かったのか疑問に思う。
高槻駅北口から先日の折返し点に向かい上流に向かう。次の芥川橋の袂に立派な地蔵堂が建っている。歩き始めなので挨拶代わりのお参りをしておく。軒先の進入禁止の標識がなんとも目障りである。目の前の土手の上の道は自歩道になっており、桜並木が続いている。これは日陰が出来少しは助かる。歩く人は少ないが、自転車が暑さを避けるためこちらに入って来る。

 01.芥川橋の袂に立派な地蔵堂が

 02.右岸側の遊歩道を進む

 03.酷暑に木陰の有る道を自転車が

500mも歩けば有り難―い遊歩道は終わり、カンカン照りの道となる。名神高速の下を潜れば4車線から6車線に拡幅した様子が良く分かる。古い形式の橋桁の横に新しい形式の桁を継ぎ足している。
道は川沿いから丘陵地の坂道となる。閑静な住宅地の中の坂道を汗だくで歩く。西之川原橋を診るため枝道を川に向かって下る。良く見ると川沿いに細い道が通っていたようで余計な汗をかかされた。橋は木製の欄干と木のスカートを桁の外側に化粧した橋で、橋の形式と状況が分からないので河原まで降りて確認する。暑いさなかでは腹立たしいお化粧である。

 04.余計なスカートのため河原に降りる

今度は川沿いの細い道を進み摂津峡の入口に到達する。入口では臨時の有料駐車場が設けられ多くの車が入って行く。夏休みのさなかで親子連れが多い。直ぐの売店でラムネを飲みながら尋ねると、「この川はなんとか川遊びをしても大丈夫な水質なので夏は盛況です。」とのことである。右岸側の摂津峡の遊歩道に入る。

 05.ここから摂津峡に入る

 06.摂津峡公園案内図

大きな石がごろごろと転がっている渓谷のあちこちで多くのグループが川遊びをしている。暑さにまいりだした体が水に入りたいよーと言っているが、そんな時間と元気は無いよと横目で見ながら歩きづらく狭い路を北に向かう。

 07.渓谷では多くの人が川遊び

 08.ああー川に入りテー

遊歩道と言うよりは登山道と言っても良い悪路を30分ほど歩き、原地区の盆地に入る。川沿いに道は無く、枝道に入るジグザグ行進を余儀なくされる。谷底に日陰が有った所から盆地のカンカン照りの太陽の元で歩くと辛い。電車の遅れと摂津峡での歩きづらさから予定よりも1時間近く遅れの歩きとなり、暑さも加わり予定していた原大橋バス停を二つ手前の原立石バス停に切り替え立石バス停に向かう。府道6号線から天台宗の古刹である「神峰山(かぶさん)寺」に向かう道が分かれる三叉路にバス停が有る。立派なバス停小屋で暫し汗を拭きバスを待つ。

 09.古刹「神峰山(かぶさん)寺」はここから入る

予定していた高槻駅北口行きバスがやって来た。地獄に仏様が現れた。冷房の効いた車内は極楽である。途中のバス停から多くの乗客が乗り込み満車となる。高槻市営バスは当分安泰じゃ。
帰路につき姫路、相生と乗り変え高島駅を出た所で周りの乗客の携帯が聞き慣れない音を一斉に発し、電車も停車する。ははーん緊急地震警報が出たなと思っていたら、車掌がその旨車内放送をする。隣の市道では普通に車が走っている。これは誤報だなと思っていると6分程で電車は出発。今日は始め悪ければ終わりも悪しであった。

本日の歩行距離:8.5km。調査した橋の数:12。
総歩行距離:6,221.4km。総調査橋数:9,899。
使用した1/25,000地形図:「高槻」(京都及大阪7号-4)