兵庫6-5. 杉原川(その1) 平成24年7月31日(火)晴れ

4度目の西脇市駅に降りたつ。今日は旧加美町の北端から南に流れ西脇市街地で加古川本流に合流する延長34.2kmの杉原川を歩く。
西脇市駅は元は野村駅と言われていたが、野村~鍛冶屋間の鍛冶屋支線が廃止された時に西脇駅も廃止されたため、西脇の名前を残すため駅名が変更された。ここにも市町の入口を示す、「町」、「市」が付いている。探していた廃線跡が直ぐに見つかり、自歩道に整備された木陰の道を北に歩く。時々、自転車で向かう高校性とすれ違い挨拶をしてくれる。程よい幅の道が気分良く走れるのであろう。

 01.鍛冶屋支線の廃線跡を暫し歩く

 02.西脇市街を流れる杉原川

このままずっと廃線跡を歩きたいが、川は東側を流れているので後ろ髪を引かれながら東側の最初の橋に向かう。本流遡行時に調べた「西脇大橋」から川沿いの道を上流に向かう。川は市街地の東側をゆったりと流れ、品格の漂う姿をしている。西脇市街地が本流沿いでは無く支流沿いに発展したのに合点がゆく。
先ず川の東側の道を進むとパイプアーチ橋のアーチの入口に「あいさつ橋」のサブネームが掲げられている歩道橋が迎えてくれる。これが先ほどの挨拶の元かな。
西側の右岸沿いに歩いて行くと対岸に市役所が現れる。搭屋には「田園協奏都市」なるスローガンが掲げられているが、分かったような分からないようなスローガンである。

 03.アーチの入口にあいさつ橋の額が

 04.田園協奏都市を掲げた西脇市役所

市街地が尽き一旦谷が狭まると、新しい道が現れこれも廃線跡を利用した市道のようである。歩道と車道の境に植えられ大きく育った街路樹の木陰が暑さを和らげてくれる。やがて広い境内を持った寺が現れ、その前には「西仙寺橋」が架かり寺名が橋名になっている。真言宗の境内で小休止するが、今日は日差しは強いが風が適当に吹き、汗が乾きやすい天候で助かる。

 05.西仙寺橋から見た橋

一直線に伸びる市道を進むと、元が鉄路であったことを示す橋名が市道の橋にある。すると大きな市原駅の駅舎とその先に気動車が現れる。廃線駅舎と会うのは広島の可部線以来である。駅舎内にはいろいろなグッズや記念品が展示され、最終日に運転された列車の先頭に掲げられたサボも展示されている。鍛冶屋支線は今も残った野村(西脇市)~谷川間よりも利用者が多く、加古川からの列車の大半はこの支線に直通していた。しかし盲腸線の悲しさで福知山線と繋がっている方が勝ち、こちらは負けてしまった。
保存されている気動車は、扉が外側にぶら下げられた4枚ドアで、混雑線用に開発された形式の車輛である。主に電化前の関西本線に充当され、電化後加古川線に転属された。廃止されるような線区に4枚戸の車輛を充当する、金持ちのエゴのようなやり方である。

 06.元が鍛冶屋支線であった証拠がここに

 07.市原駅舎は記念館として保存

 08.外吊り4枚戸の気動車も保存

 09.さよなら鍛冶屋線運転サボ

川は東側に蛇行しているため再度線路跡から別れ、川の土手の上の狭い道を北に向かう。途中で、尾瀬に行くときに何度か見た片品川の吹割の滝に似たミニミニ滝に出会う。規模は比較にならないが姿は良く似ている。

 10.ミニミニ吹割の滝が出現

方向を西に変え進むと西脇市から旧:中町(現:多可町中区)に入る。中区とは横浜、名古屋、岡山などの政令指定都市並みの地名である。再度北に方向が変わると中区の中心部の中村町である。今日最後の橋を調べ役場に向かう。
12時58分発のバスまで20分ほど役場のホールで涼を取る。役場前から多可町のコミバス「のぎく」の西脇市駅行きに乗車。町民でパスを持っていると安く乗車できるが、一般客は神姫バスと競合している区間なので普通の運賃が必要な二面性を持ったバスである。播磨のコミバスは全て神姫バスが運行しており、独占している。

 11.旧:中町役場(現:多可町役場)から帰路に

今日の歩行距離:12.6km。調査した橋の数:18。
累計歩行距離:1,869.7km。累計調査橋数:2,407。
使用した1/25,000地形図:「西脇」(姫路3号-1)、「中村町」(姫路2号-2)

兵庫6-5. 杉原川(その2) 平成24年8月3日(金)晴れ

5度目の西脇市駅に降りたつと既に鳥羽上行きのバスが待っている。そそくさと乗り込み前回の折返し点の多可町役場前に向かう。わずか3分の接続は初めてであるが、無駄な時間が掛からず助かる。
再度役場に立ち寄りトイレを借り、身支度を整えて遡行出発。北北西に進路を取り川の右岸の土手を進むと、再び鍛冶屋支線の廃線跡に出会う。杉原川を渡る鉄橋はそのまま自歩道専用橋に転用され、前後には整備された自歩道が伸びている。この線路跡はほぼ全線が自歩道に転用されているようで、野村(現;西脇市)から鍛冶屋まで17kmはハイキングにもってこいの距離と道である。

 01.鍛冶屋支線の橋は自歩道橋に

 02.線路跡はここでも自歩道に変身

国道427号線の橋を対岸に渡り左岸側を今度は歩く。直ぐに道の駅らしい施設と舞台が見えるので寄り道をする。施設は「まちの駅 たか」とあり、道の駅と同じような施設である。今まで山の駅、村の駅などの施設に巡り会って来たが、ここも道の駅には合格できないが、類似施設としてオープンしたようだ。
舞台らしきものには「播州歌舞伎」の由来を説明する大きな屏風風の絵と説明板が建っている。かつての庶民の娯楽であった農村歌舞伎は映画の発展で減少し、専属の歌舞伎団は今ではここ多可町のみになったとある。歌舞伎、映画、テレビ、パソコン、携帯と娯楽の形態はどんどん変化していく。

 03.「まちの駅たか」はミニ道の駅

 04.播州歌舞伎の由来説明板

川の流れは西、北西、北と方向を変えているが、マクロ的には北北西の方向から流れている。川に居た白鷺の一群が近づいていくと一斉に飛び立ち、対岸の山の木々に留っている。今日も暑い。

 05.白鷺の群れが川向うに

川沿いの道が無くなり一旦国道の歩道を歩くが、車が通り過ぎると暑さが一層増す。名前が優美な「月ケ花橋」を渡り旧:中町から旧:加美町に入るがここもマンホールのデザインはつまらない幾何学模様なのでパスする。やがて農協のコープが見えたので中に入り、クーラの冷気で体を冷やす。スイカの小切りがあったので買い求め水分補給の足しにする。
再び地獄のような暑さの中に飛び込み遡行を再開する。熊野部の稲荷神社の参道には狭い歩道橋が架かり、足元の河原では子供たちが川遊びをしている。中には真っ裸の女の子も居り、最近では珍しい。こちらも裸で川に飛び込みたいが、それも叶わず橋を渡ると鳥居と大きな杉の木が国道際に有る。昼飯にと日陰と座る所を探していたが、もっけの幸いと涼しい木陰でお握りをパクつく。冷房よりも木陰の風の方が有り難い。

 06.神社への橋の下で川遊び

 07.この杉の木陰で昼休み

再度炎暑に飛び込み国道を北の方にひたすら歩き続ける。途中に旧:加美町の役場(現振興局)が有ったが立ち寄らず通過する。これで多可町の旧3町の役場を全て見たことになる。新役場が中町に置かれたのは妥当な感じである。(

 08.旧:加美町役場

豊部、奥豊部の集落を過ぎ、半ば意識朦朧という感じで汗を拭き拭き歩く。続いて杉原集落に入り、ここが杉原川の名前の基である理由がなんとなく分かる。かつてここに杉原なる豪族がこの地を支配していたと、国道脇の小さな説明板が記していた。西の山裾に大きく立派な佇まいのお寺が目につく。ミニ砦のようにも見える寺は、災害時の避難場所にもなったのであろう。

 09.川名の基になった杉原集落のバス停

 10.門村の山腹に立派なお寺が

この付近の高山である千ケ峰(H=1,005m)の山腹から流れて来た三谷川を渡ると門村集落で、県道の橋を調べて国道に戻ると、門村バス停に瀟洒な建物が有り、ジェラートの専門店とある。この暑さにジェラートとは、早速飛び込み口の中を冷やす。予定していたバス停よりも二つ手前であるが、もうとても歩く気力が失せたので30分ほど建物の中でバスを待ち、予定の便に乗車する。帰路の途中、鍛冶屋駅跡のミニバスセンターにバスは立ち寄り、かつての駅舎も改装されて記念館として保存されている。鍛冶屋線に対する地元の思いはどこよりも強いのを感じる。

今日の歩行距離:13.0km。調査した橋の数:15。
累計歩行距離:1,882.7km。累計調査橋数:2,422。
使用した1/25,000地形図:「中村町」(姫路2号-2)、「丹波和田」(姫路2号-1)