兵庫-6.加古川(その5) 平成24年5月12日(土)曇りのち晴れ

1泊2日の加古川本流最後の遡行に出かける。朝10時33分前回の折返し点の船町口駅に再度降り立つ。橋を渡り右岸を進めば直ぐに丹波市旧山南町に入り、いよいよ10番目の国(備前、備中、美作、讃岐、備後、安芸、播磨、但馬、阿波、丹波)に入る。関所は無いが川には堰が有る。東方の右側から篠山川が、西からの本流(佐治川とも言う)に合流し、南に流れている。ここが国境とはとても思えない地形である。兵庫県が但馬と丹波の半分を組み入れた原因の一つはこの国境の越境の容易さ、往来のし易さにあるようだ。

 01.ここから丹波国

 02.篠山川が合流、奥は円応教本部

丹波市は氷上郡の6町が大合併した市で、新市名に対し同じ丹波国を有している京都府側からクレームが出たようで、一国を二つに分けた後遺症が平成になって現れた。山南町のマンホールの図柄は何かの植物をデフォレムしたようであるが?和田橋の親柱には杉の葉のような絵柄で、この杉の葉をデザインしたのかも知れない。

 03.旧:山南町マンホール

 04.和田橋の親柱は杉葉?

今日は寒く、国道175号の気温表示は13度。初夏の服装では寒く、震えながらの歩行となった。旧氷上町に入ると広々とした景色が現れ、田圃の大半は田植えが終わっている。

 05.旧:氷上町は雀が舞う

 06.広々とした景色が広がる氷上町

柏原(かいばら)川が合流する地点で本流を離れ、今回のハイライトである日本列島を分ける大分水界で最も低い「水分(みわか)れ」に向かう。市街地の国道175号線を歩き、北から迫り出している城山の麓を過ぎると分水界の案内看板が現れる。とうとうやって来ました。川遡行の聖地「水分れ」である。分水界の標高はわずか95m。分水界は一般には両側の坂を登ってきた峠にあるが、ここは全く勾配を感じさせない峠で、国道の右側(南)の水は加古川から瀬戸内海に、左側(北)の水は黒井川から竹田川を経て由良川となり日本海に流れる。

 07.石生の水分れの説明板が至る所に有る

 08.道路の右の水は瀬戸内海に、左は日本海に流れる

福知山線の踏切近くからは東の山から流れてくる天井川の高谷川の北側の堤防が分水界となる。この堤防が水の仕切り線となっている。丁度特急が通過したが、列車の半分は瀬戸内海に後ろ半分は日本海側に居ることになる。直ぐ北側にある石生駅は日本海となる。

 09.この天井川の高谷川が加古川に流れる

 10.高谷川を渡る福知山線の特急は大分水界を跨っている

川に沿って奥の公園に向かう。公園のはずれにはイソベ神社と資料館があった。神社で訪問の挨拶をして博物館に入る。道端の案内板と館内の大分水界の地図の広島県付近での間違いを、内容をよく理解していないおばさんの館員に正確に表されているパンフと対比しながら指摘しておく。有料施設なのに割合アバウトな表示にあきれる。館内の資料から、この辺りは河川争奪が激しかったようで、高谷川からの土砂で出来た扇状地が分水界になったようだ。

 11.水分れ資料館の中の航空写真

 12.水分れ地区の地形図

来た道を戻り、多くの新しい建物が集まる地区のビジネスホテルに入る。夕食は近くの王将に入り、久しぶりに王将の餃子を食べる。
今日の歩行距離:19.8km。調査した橋の数:10。
累計歩行距離:1,620.9km。累計調査橋数:2,158。
使用した1/25,000地形図:「谷川」(京都及大阪14号-4)、「中村町」(姫路2号-2)、「丹波和田」(姫路2号-1)、「柏原」(京都及大阪14号-3)

兵庫-6.加古川(その6) 平成24年5月13日(日)快晴

6時過ぎにビジネスホテルをアウトし、近くのすき屋で朝食を摂り6時半に出発。今朝は快晴、放射冷却で寒いが気分は上々。本来は今回の旅のキーポイントとなった、土日の朝に1本しか走らない最上流の大名草(おなざ)に行く神姫バスに乗る予定であったが、終点から23kmを多くの橋を診ながら下り、石生駅14時36分発の電車に乗るのは無理なようなので、朝早く出かけ何処かでこのバスを捕まえ下りの距離と時間を稼ぐ積もりであった。
知らない間に開通した北近畿豊岡自動車道の氷上ICの外側の道を半周し加古川の左岸に達する。ここも舞鶴若狭道の春日JCから次の青垣IC迄は無料区間となっている。有料高速と無料高速が混在し、作る側の思惑で作られた思いが強い。北の方向を見やれば早朝の快晴の空に姿の良い安全山(H=537m)が朝日を浴びてくっきりと浮かんでいる。

 01.快晴の早朝の加古川と安全山(H=537m)

車の通らない川の土手の上を左岸から右岸、右岸から左岸とジグザグに川の右岸のそばを通る豊岡道を道連れに進む。高架橋はなかなかすぐれたデザインで工費を抑えた跡を感じる構造物である。バスは川から離れた東西の二本ある県道のどちらを通るのかが分からないので、このまま遡行を続けることに設計変更する。
旧:青垣町に入ると今度は大箕山(H=626m)が独立した山容を現す。西の山から音も無くパラグライダーがゆっくりと河原に舞い降りてくるのにビックリ。山頂方向を見れば次から次と下に降りてくる。今日は風も弱く絶好の降下日和である。

 02.旧:青垣町に入ると大箕山(H=626m)

 03.パラグライダーが河原に舞い降りる

本流よりも長いと思われる「遠阪川」が合流する地点の北側に「道の駅あおがき」が現れる。少し早い昼とし、名物と称する二八蕎麦とコンニャクの味噌おでんを食す。案内所の地図の右下や入口の碑の上にもパラクライダーが有り、ここはライダーの天国のようだ。青垣町佐治のバス停の位置を観光案内所の女性に聞くが、バスを使ったことが無いので知らないと、のたまう。アーアーこれだからバスはどんどん亡くなって逝くのだ。

 04.「道の駅あおがき」にもパラグライダーが入っている

 05.道の駅入口にもパラグライダーが
ここまで河口から80km余り来たが、なかなか上流らしい川の風情が無かったが、佐治で川の向きが南北から東西に変わり、狭い谷間になっていく。篠山川から上流の川名には佐治川も併記され、元々は加古川とは言っていなかったようだ。
狭い市街地の中心に架かる神楽橋はシックな石橋風でガス灯もどきの照明柱もある。

 06.石橋風の神楽橋はシックな装い

西に進むと広い田圃の中にライダーが降りてくる。暫し話を聞きながら降下の技量を見る。広場の真ん中には円が描かれ、ここを目指して降下してくる。円内に見事にタッチダウンすると拍手喝采。ヘルメットを脱ぐと若い女性でビックリ。気持ちいいだろうなー。

 07.広い着陸場に次から次と着陸

 08.円の中に見事に着陸したのは若い女性

500mほど上流の佐治大橋を潮時としてUターンし、佐治バス停に向かう。計画していた大名草(おなざ)は未だ5km先であるがここを打切り点とする。
街中の三叉路には但馬と生野を示す古い道標が建っている。左の方向に10km強行けば先日訪れた市川最上流部の黒川温泉である。

 09.佐治の中心にある道標(右但馬、左生野)

13時40分発石生駅経由柏原駅行きの石生駅着は14時41分の予定で計画していた14時36分発の電車には間に合わない。運転手さんは来る時に乗車した車椅子の客が帰りにも乗る予定で、車いすの乗車に時間が掛かることと、日曜日でゆめタウンの出入りに相当時間が掛かるだろうと言う。これではどうしようも無いので、これらのバス停の手前のタクシーの乗れる所で降ろしてもらう。余計な出費となったが流石のタクシー。すいすいと進み予定の電車の発車10分前に駅に着き無事帰路につく。
福知山線も加古川線も中高年のハイキング客がどっさりと乗っている。西脇市駅から乗り継いだ加古川行きも単行で客が一杯。何故こんな日なのに二両にしないのか理解に苦しむ。加古川からの新快速は今日も遅れている。お蔭で予定していた姫路からのさくらには乗れず、こだまに乗ることになる。

 10.福知山線石生駅東口

 11.谷川で加古川線に乗り換え

今日の歩行距離:17.3km。調査した橋の数:21。
累計歩行距離:1,638.2km。累計調査橋数:2,179。
使用した1/25,000地形図:「柏原」(京都及大阪14号-3)、「黒井」(京都及大阪13号-4)、「大名草」(姫路1号-2)